AIコーディングツールに設計方針を伝える手法として、ADR(Architecture Decision Record)がコーディングエージェントの推論効率を格段にアップする可能性が示唆されています。しかし従来のADRでは「なぜこの技術を選んだか」という判断の記録と「この技術を使う以上やってはいけないこと」というルールが、同じドキュメントに混在していました。
sqlewはこの2種類の情報を、Decision(方針)とConstraint(誓約)という別々のエンティティとして管理します。この分離が、AIの思考パターンに予想以上の変化をもたらすことが実験データから見えてきました。
Decisionは「理由を含む記録」、Constraintは「行動を縛る規約」
sqlewにおけるDecision(方針)は、設計判断とその根拠をセットで記録するものです。コンテキスト、判断内容、そしてなぜその判断に至ったかのrationaleを含みます。ステータスの管理も可能で、proposed(提案中)からaccepted(承認済み)、deprecated(非推奨)へと状態が遷移します。
一方のConstraint(誓約)は、方針から派生する不変条件を独立したエンティティとして管理するものです。優先度フィールドを持ち、単なる禁止事項だけでなく推奨事項も含みます。「やるべきこと」と「やってはいけないこと」の両面から、AIの行動範囲を明示的に定義します。
一般的なADRの「Consequences」セクションに書かれていた制約情報を、独立した構造データとして切り出したと考えるとわかりやすいかもしれません。
方針がAIの「考え方」を変える:アーキテクチャ意識の向上
12.5ターンの対照実験で、LLMの思考ログから抽出した単語の出現頻度を分析したところ、方針を記録した条件では明確な思考パターンの変化が確認されました。
たとえばアーキテクチャに関連する単語(architecture, pattern, design, layerなど)の出現頻度は、方針なし条件がプロジェクト後半にかけて低下していく一方で、方針あり条件は安定した水準を維持しています。設計判断の「なぜ」が記録されていることで、AIは実装に没頭しても設計視点を失わないのです。
さらに象徴的なのが、過去の方針への参照頻度(decision, constraint, previous, documentedなど)の推移です。
| 期間 | 方針あり | 方針なし | 差分 |
|---|---|---|---|
| 序盤(T1-4) | 6.2 | 5.2 | ±5% |
| 中盤(T5-11) | 12.7 | 7.8 | +107% |
| 終盤(T12+) | 11.4 | 4.8 | +137% |
(思考ログ1万文字あたりのキーワード出現数)
方針あり条件の優位性は時間とともに加速度的に拡大しています。ADRが蓄積されるほど参照頻度が上がり、一貫した判断がさらなるADR蓄積を促すという正のフィードバックループが形成されていました。
誓約がAIの「暴走」を抑える:手戻り思考の収束パターン
方針だけでは、AIが「将来の設計意図」を先走って実装してしまうリスクがあります。実験でも、ADRに記録された将来の計画をAIが前倒しで実装しようとする現象が観察されました。
ここで効果を発揮したのが誓約です。「未指定の機能は実装しないこと」という誓約を明示することで、方針が提供する「アクセル」に対して誓約が「ブレーキ」として機能します。
この効果は、思考ログ中の手戻り・再考に関する表現(wait, actually, let me reconsiderなど)の出現頻度に明確に現れました。
| 期間 | 方針あり | 方針なし | 差分 |
|---|---|---|---|
| 序盤 | 3.6 | 2.1 | +66.8% |
| 中盤 | 8.5 | 4.0 | +112.3% |
| 終盤 | 4.8 | 4.8 | −1.2% |
(思考ログ1万文字あたりのキーワード出現数)
序盤と中盤で方針あり条件のRework密度が高いのは、誓約を参照して「これは今やるべきか」を慎重に判断しているためです。注目すべきは終盤で差が消失している点です。これは誓約がAIに「内在化」されたことを意味します。最初は外部ルールとして参照していた誓約が、ターンを重ねるうちにAIの判断基準に組み込まれ、明示的な再確認が不要になったのです。
これはまさに学習曲線の可視化といえます。
アクセルとブレーキのセットで渡す
sqlewがDecisionとConstraintを分離した設計は、AIエージェントに「何をすべきか(方針)」と「何を超えてはならないか(誓約)」を構造的に伝えるためのものです。方針は理由とともに記録されることでAIの思考品質を底上げし、誓約は行動の境界を明示することで効率的な判断を促します。
開発者がブレーキのない車に乗らないように、AIにもアクセルとブレーキのセットを渡す。sqlewの方針と誓約は、そのための仕組みです。
参考文献
- "Rediscovering Architectural Decision Records: How Persistent Design Context Improves LLM Code Generation" — Shingo Kitayama (2026) — sqlew Efficacy Study
- "Scaling Reasoning, Losing Control: Measuring Instruction Following in Reasoning Models" — He et al. (2025) — arXiv:2505.14810





